種子島のオキノフナ(掲載開始2004.7.9〜)

        

 1996年のある日、家の電話が鳴りました。聞き覚えのない声が耳に響きます。「もしもし、わたしは種子島の松山という者です。釣りサンデーの記事(週間釣りサンデー 第21巻21号 通巻1051号 1996年6月9日発行)を見て電話をしています」。話を聞くと、何と遠く離れた鹿児島県の種子島に住んでいるという釣り人からでした。わたしが書いた記事の中に種子島には地方名でオキノフナと呼ばれる魚がいて、それはアカメであろうと思われていると記述していたのです。当時わたしはアカメのサンプルが少なく研究が進まないということから研究者にサンプルを提供しようと釣り人に呼びかけていました。その記事を読まれて電話をしてくださったのです。松山さんのお話ではオキノフナはアカメに間違いないと思う、必ず自分が釣って送って下さるということでした。思ってもみなかった記事の反応に驚いたことでした。喜んでサンプルの提供をお願いして電話は終わりました。

 その時のわたしは、種子島というと遭難し漂着したポルトガル船から日本に鉄砲がはじめて伝わった島、人工衛星打ち上げのロケット基地のある島ということぐらいの知識しかもっていませんでした。その晩開いた地図に種子島はあるにはあるのですがあまりに小さく、位置とおおよその形しかわかりませんでした。数日後買ってきた九州の地図をみてほぼその地形がわかりました。

 時の経過と共にその話はすっかり忘れていました。

 それから4年後の1999年8月31日、電話に出たわたしに「昨夜釣りました。オキノフナを釣りました。送ります。松山です。」と興奮気味の声が飛び込んできたのです。しばらく何事がおこったのか?よく言う、頭がしろくなるというような数秒の時間の後、我に返りことの重大さに気づきました。「ど、どこで釣ったのですか?いつ釣りました?サイズは?アカメに間違いないですか?」わたしの方が松山さんよりも興奮度が高かったように思います。だんだん伝わってくる感動がわたしの中で増幅し胸がドキドキしだしたことを今でも思い出します。

 ほんとうにアカメなのか。高知や宮崎にいるアカメと同じものなのか。どこか少しは違いがあるかもしれない。ひょっとすると台湾でよく釣られている現地名「金目鱸」あるいは西表島で撮影されたアカメ属に近いものかもしれない。などなど疑問やら想像(妄想)が湧いてきて早く見たい。確認してみたいと気がはやりました(台湾・西表島のラテス属の魚はLates calcarifer ラテス・カルカリファ オーストラリア名バラマンディであろうとわたしは思っています)

       松山さんと彼の釣ったオキノフナ、写真は松山政敬さん提供。

 1999年から始まった私たちの種子島に於けるオキノフナ(アカメ)調査についてはこの間ずっと公表をさけてきました。理由は種子島のアカメはそっとしておきたい。静かに現状を維持させたい。その一点です。その事の重みは99年から始まる3年連続の調査行の結果、いよいよ痛感することになります。

 (週間釣りサンデーの社長であった小西英人さんと最初の調査行の打ち合わせの中で小西さんのほうからオキノフナは仕事にしないと申し出がありました。釣りの記事を出版して生業とされている会社の責任者としては異例のことです。釣りの世界で「種子島のアカメがルアーで釣られた」という記事は大きな話題を呼ぶ特ダネだったのです。小西さんの立場からしてこのあるまじき行為はこのときだけの思いつきではありません。小西さんは釣り人と研究者との橋渡しをしたいということを紙面をとおして表明し、実行し釣り人に呼びかけられていました。わたしもその呼びかけに応えた1人で、アカメを釣ってはせっせと研究者にサンプルとして送っていたのです。小西さんはアカメについてもかなり以前よりその希少性・重要性については深い認識をもたれていたのです。

 小西さんは現在もニフティの釣りフォーラム で「さかなBBS」を運営され釣り人とともに魚をしらべ、また研究者との仲立ちなどをされています。)

 今回、その沈黙を破って連載に踏み切ったのは、釣りの世界、特にルアーの分野で種子島のアカメが噂に上るようになってきたためです。

 いままで数点の書物で種子島のアカメが取り上げられてきました。古いものでは1987年筑摩書房からだされた『かごしまの魚譜』で紹介され、新しいものでは南方新社が2002年発行した『川の生き物図鑑』があり、ここには種子島からの記録があると掲載されています。また、インターネット上でも潜り漁でアカメを仕留めたことが出されたりしています。

 アカメのルアー釣りは始まって以来、2004年の今年でおおよそ30年になります。年々盛んになり、また一般的になりはしましたが、生息域が限定されていることや希少な大魚のため現在も憧れをもたれる夢の対象魚なのです。

 そっとしておきたかったオキノフナがだんだんと釣り人のあいだで話題にのぼるようになってきました。

 この世界では一般的に人があまり釣っていない場荒れしていていない釣り場というのは貴重であり、離島で人が近づきにくい、対象魚がいること自体が広く知られていない、釣り人が少ないなど種子島はこの条件を十分すぎるほど満たしているのです。つまり、「種子島へいけば=アカメがたくさん釣れるのではないか=大物がなんぼでもいるのではないか=釣り人にとっては夢の島」という図式が自然とできあがってくるのです。こうした噂や想像は日ごとに広く大きくひろがっていくのが常です。宮崎県や高知県では長く釣られているので、種子島などは新天地のようにとにかくに魅力的に見えてくるのです。

 この連載はこうした釣り人の夢に水をさしてやろうという思惑からはじめたわけではありあません。

 わたしたちが調査の中で痛感したのはオキノフナはほんとうに少ないということです。また地理的に見ても今のところアカメ 標準和名:アカメ、学名:Lates japonicus Katayama and Taki, 1984(ラテス・ヤポニクス)と確認された南限のものでありたいへん貴重なものであります。オキノフナの現状を正確に知っていただいて大事にしていただきたいというわたしと仲間たちの思いから「アカメの国」に掲載することにしたものです。

 1999年9月5日、種子島から荷物が届きました。大きな荷物です。サイズが規格に合わない大きさのためヤマトのクールでは送れないので、オキノフナは松山さんの職場の冷凍庫で水ごと冷凍して日通の航空貨物で送って下さることになったのでした。計測のため解凍するといっきにやってしまわないといけないし、自分で計測したあと標本として残したいと思っていましたので、届いた荷姿のまま知り合いの漁師にたのんで漁協の冷凍庫で保管してもらうことになりました。おそらくこのオキノフナは日本で初めて(?)研究機関が入手することになるはずです。

 まだ現物を計測してはいないが、アカメに間違いない。さて、種子島のオキノフナの棲むフィールドはどんなだろう、現地をこの目で確かめたい。できれば子どもを採捕して生活のサイクルがあるのかどうかを確かめたい。成魚はサンプルが入手された、もし子どもを確認することができれば種子島をアカメの生息地として新たに確認することが出来る。

 『いても立ってもいられない』との慣用句はこのときのわたしの精神状況をよく表しています。

 9月1日、メールで「英人さん 行きましょう。稚魚ネットを車に積み込んでタックル積んでオキノフナ・オキノコイを2人で捕まえて調べましょう。行きましょう。」と送信しました。小西さんも同じ思いだったのか、メールの返信は9月中旬以降なら動けそうだとのことでした。種子島調査行が決まったのです。

      はじめてまして種子島 (1999年第一回調査行・9月18日〜21日)

  毎日、小西さんとメールで、交通手段、持っていく荷物の選別、種子島の情報をやりとりし、現地の松山さんには宿舎の手配、情報の収集と電話で相談しながらお世話になりました。

 わたしはお天道様まかせの仕事ですが、小西さんは会社の責任者、たいへんそうでした。17日にはどうしてもはずせない会議があるとのことで出発は18日になりました。わたしも、種子島に行く前にジャガイモの植え付けと切り花のシャクヤクの植え付け準備をしたかったのです。この年は雨が多くて畝作りが出来ず困っていたのですが、ふだんの行いのせいか、なんとか間に合わせることができました。

 わたしは荷物がたくさんになるため車での陸路を考えていたのですが、いそがしい小西さんは空かせた時間を有効に使うため飛行機での空路を予定していました。荷物は前もって旅館に陸送しておき、飛行機で行くことに決定。レンタカーで種子島を巡ることになりました。高知から種子島への直行便はないため、一度大阪で一泊してから翌朝大阪から種子島へとの手はずになりました。【空路の地図】

 飛行機は36人乗りの小型のプロペラ機です。高知から大阪への便もプロペラでした。大阪への予約を取りに高知空港(現龍馬空港)に行くと案内のお嬢さんが「プロペラ機ですがいいですか」と聞くのです。「わたしはロケットのほうが良いですのでそちらにしてください」などと云えるはずもなく、良いも悪いもないのですがどちらかというとプロペラの方が好きです。『一生懸命働きよります』というプロペラの姿勢が好きです。どちらにしてもいまでも飛行機は本当のところ怖いので好きではありません。あの一生懸命廻っているプロペラが、廻っているのが目で確認できるだけに突然ぷすんと止まってしまったら、などと想像するだけで鳥肌が立ちそうです。

 荷物は前もって宿舎になる民宿へ送りました。松山さんがお世話してくださった「しまさき」という民宿です。種子島の南部にあり宇宙センター近くでした。送った荷物は大きな段ボール箱で3個。ロッドと稚魚ネットは段ボールとは別で大きなバズーカーに入れました。わたしの荷物だけでも沢山なのに小西さんの荷物もいっしょになると宿のご主人もきっとたまげるだろうなどと思ったことです。

 その中身は

 《釣り道具》●ロッド オキノフナ用8.6フィート2本、10フィート1本、他魚用12フィート1本、7.5フィート・5.6フィート各1本の合計6本。●リール アブ6000c・XLTスリー・マグスリー各一台、ダイワSS750・600、ペンSS5500 ●ライン予備 30・20・16・12・8・6ポンド各一巻き、ショックリーダー 80・50・25ポンド各一巻き ●ギャフ ●ウエダー●ルアー等 各種・ソフトルアー・土佐カブラ・サビキ ●ライト●フィッシングベスト。

 《調査用具》●稚魚ネット●サンプル瓶●アルコール●ホルマリン●クーラー ●ブクブク●カメラ3台・フィルム5本●塩分濃度計●水温計●曳舟●録音機とテープ●ディバイダー●メジャーなど それから着替え等など。

 一泊二食付きで6000円でした。小西さんに宿舎の詳細をつたえると「種子島の宿賃は安いやんか」。

 実は、打ち合わせの中で種子島行の経費は釣りサンデーが持ってくれるというありがたい申し出があり、妻の表情も変わりました。つり上がりぎみっだった眉が少し穏やかに下がってきたのです。

 小西さんはオキノフナは仕事にしないということなのでわたしとしては少し心苦しいところがありましたが、連載中の「快投乱麻」の取材をやるということでした。わたしの稚魚ネットはもっぱらアカメのみ、ほかの魚は知らないよというものだったので他の雑魚?(失礼)はもっぱら小西さんがせっせとあつめ研究者に送ることになりました。また釣った魚、採捕した魚は稚魚もふくめすべて撮影して財産(某所には膨大な財産があるそうです)を殖やしたいとの意向でしたのでこれならわたしも少しぐらいは役立つであろうと少々は安心しました。

 1999年9月17日大阪の伊丹空港へ到着後、迷いながらも週間釣りサンデー社にたどり着きました。以前取材やインタビューなどでお世話になった記者をみつけては挨拶したり、創業者であり英人さんの父上の小西和人さんにも紹介していただいたりで、緊張の連続の1日となりました。そんなこんなでこの日はかなり疲れました。万博公園近くの小西さんの家で泊めてもらって、翌朝奥様の運転の車で駅まで送っていただき電車でまた伊丹空港へ。

 予定は18日〜22日です。18日8:00出発、種子島空港着9:55。

 飛行機で2時間ほども飛ぶというのはやはり種子島は遠いなあがわたしの感想です。36人乗りという小さい飛行機ははじめてでしたが60人乗り、500人乗りと比べても軽四と普通車ほどの違いは感じませんでした。(こんなふうに書きますといつも飛行機に乗っているようですが、それぞれまだ数回しか乗っていません。)窓側の席をもらってアナウンスで地上を確認したりしながら種子島上空へ。

 種子島は大きい島でした。しかし、山が低いのです。高度がある時はそれほどには思いませんでしたが着陸するため高度を下げるといよいよその感じを強くしました。すぐお隣の屋久島は九州一高い山があるのにえらい違いです。窓から見る景色は農民のわたしらしくサトウキビとサツマイモ畑がやけに目に飛び込んできました。

 飛行機は離着陸の時が一番危ないそうですね。知るんじゃなかったと、毎回思うのです。手に汗を握りながら『パイロットさん頑張って下さい』。平常心を装う苦労をしながら命はあなた任せというのは情けないものです。ここらに飛行機嫌いの原因があるのでしょうか。飛行機では着陸態勢中に運転手が突然意識を失ったらそれまでです。バスでしたらそんなとき運転手に代わって美しい女性が運転、危機一髪難を逃れるなんて映画のシーンがありそうです。飛行機ではそうはいきません。副操縦士が「機長やめてください」と叫ぶぐらいしかできないではないですか。しかし、今回もなんともなく無事に着陸です。


  ここで松山さんが釣ったアカメのデータを紹介します(長さの単位はミリ、重さはグラム)。全体写真はページトップの写真の左側のものです。     

 

採捕者

松山政敬

採捕場所

鹿児島県熊毛郡中種子町

採捕方法

ルアーでの釣り

採捕年月日

1999.8.30

全長

912

体長

768.5

体重

12845

頭長

275.2

吻長

55

上顎長

104

眼径

29

眼後長

199

両眼間隔

41.2

体高

254

体幅

144

尾柄長

154

尾柄高

111.5

背鰭基底長

353

背鰭棘数・軟条数

IX, 12

背鰭第1棘長

23.1

2

40

3

116

4

104.2

5

80

6

59.2

7

42.5

8

29.5

9

36.5

背鰭最長軟条長

〔第3軟条)90

胸鰭長

115

胸鰭軟条数

15

腹鰭長

153

臀鰭基底長

110

臀鰭棘数・軟条数

III, 8

臀鰭第1棘長

27

2

55

3

51

臀鰭最長軟条長

(第2軟条)103

尾鰭長

143.5

側線鱗数

61

側線有孔鱗数

60

横列鱗数

24

側線上方横列鱗数

9

側線下方横列鱗数

15

鰓耙数

(右側第1鰓弓) 3+1+7


  飛行場は島中部の中種子町にあります。機は島北部の西之表市東上空から一度西の海上にでて南にUターンし中種子町の長浜という長大な砂浜海岸のほうから着陸しました。

  (写真:小西英人さん)

           

 

 

 種子島には3自治体があり北部の鹿児島県西之表市、中部の鹿児島県熊毛郡中種子町、そして同南種子町です。

 九州本土最南端の佐多岬から南東方向約40km・鹿児島市から約115kmの海上にあり一般に山地・台地が多いのですが,海抜は最高峰でも282.3mです。すぐお隣の屋久島には九州一高い山がそびえているのと比べると極端な違いがあります。

 種子島の面積は,453.83平方キロで日本の有人離島の中では5番目に大きな島であり、人口はおおよそ35300人です。


 迎えに来てくれた松山さんが愛車のジムニーで先導、案内してくださることになりました。わたしと小西さんは空港の近くで借りたレンタカーです。初めての島巡りは空港から始まり北に向かいそれから南へでした。国道14号線が北の西之表市から南の島間港まで続いていますが県道・市道・町道にいたるまで良く整備されいて全島ほとんどの海岸線を車で巡ることができます。松山さんのお話では北から南へ車で島を縦断すると一時間半ほどかかるということでした。

 途中で西之表市内の釣具店(形岡釣り具店)に立ち寄りご主人の形岡司三さんに紹介していただきました。松山さんが釣ったヒラスズキのみごとなカラー魚拓がお店にかざられていました。ここの釣具店ではオキノフナの話は聞けませんでしたが、後で数度お訪ねしてタイワンリールやアオリイカを釣るエギの話をお聞きすることになります。(残念ながら三年後にお伺いした時は釣具店を廃業されておりました)。

 松山さんのご自宅をお伺いすると、ご両親が出迎えて下さいました。庭には見たこともないソテツの盆栽がそれはたくさん創られており圧巻でした。古いものは江戸時代からのものだとおっしゃっていて、その費やされた時間と創造への手間の厚みに圧倒されました。しかも、その歳月を想像もできないほど盆栽のソテツは小型なのです。とおされた客間の天井にはお隣の島、屋久島の有名な屋久杉が贅沢に使われておりました。屋久杉の天井板ははじめてみましたが、少し赤みがかった深みのあるもので緻密に詰んだ木目、「これは畳の上で寝っ転がって天井をみていたら飽きないだろう」と変な感心をしたことです。見事なものでした。また、パッションフルーツのもてなしをいただいたのですが、わたしはこれは初めて食べる果物で強烈な香りのするまさに「情熱の果物」です。一度で大好きになりました。

 わたしはパッションフルーツの種を噛みつぶさないように上品に匙ですくって食べたのですが、小西さんはすくっては種ごとバリバリと噛み砕いて食べていました。子どもの頃アケビをお八つ代わりに育ちましたが、アケビの種は噛みつぶすととっても苦いのです。その体験から果物の種はいまでもなかなか噛めません。しかし、パッションフルーツの食べ方としてはどちらが正しい食べ方なのでしょう?

 <正解>

 パッションフルーツは ビタミンAなどが豊富なトロピカルフルーツで、あっさりとした味はデザートにおすすめです。種ごとスプーンですくって、プチプチした独特な食感をお楽しみ下さい。ということで種ごと噛んで食べるのというのがよいようです。・・・残念!まあ、食べ方はお好みでどうぞというところに落ちつくでしょう。

食べ方

1. 室温で保存

2. 果皮がしわしわになってきたら食べごろです。

3. 冷蔵庫で冷やして召し上がり下さい。

 パッションフルーツについて詳しくは=http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/4514/passionfruit.html

空港のお土産店でも見ましたが、種子島のサイトのここも販売しています。『紫芋・安納芋のOrga種子島=http://orga-tanegashima.jp/Passion/

 

  松山さんがよくヒラスズキを釣られているポイントやオキノフナの気配のありそうな所、これまでに釣獲された場所など詳しく案内していただきました。

 道中途中で中種子町のスーパーのようなお店の釣り具の店長であり松山さんの友人の阿世知章司さんも同行していただいてオキノフナが一番多く釣獲されている熊野浦を巡りました。

写真、左が熊野神社の裏側の海岸、真ん中、左から松山政敬さん、小西英人さん、阿世知章司さん。写真右が、左阿世知さん、筆者、松山さん。

快投乱麻・vol.9●種子島

ルアーで遊びつつ投げの大魚だの巻

 

■眠れぬ夜「いんたあねっと」などと申すもの不届きである。いけない。ついつい遊ぶ。

■古い古い釣り仲間が、毎年、屋久島で「いいめ」をしていると聞いていた。ハマフエフキに「きゃいんきゃいん」と鳴かされているのだ。ほとんど、捕れないらしい。このごろ「きゃいんきゃいん」なんて鳴かされたことないので、いいなあと「いんたあねっと」で「あくせす」して航空機の予約状況を見る。かちゃかちゃ、ぱこぱこ、旅行代理店のオペレーターになったつもりでいろいろ見ていた。

■お客さん、屋久は鹿児島経由になりますけど、種子なら大阪伊丹から直行便がでてます、便利でっせ…てなセールストークが口をついてでそうになる。

■朝八時に乗ると十時前にはもう種子島。帰りは十六時前に乗ると十七時過ぎには伊丹。いいやんいいやん。一日一便しかないけど、便利やん。かちゃかちゃキーボードをいじってたら、いつのまにやら切符を買っちゃった。こんなこと、眠れぬ夜にぼくにでもできちゃうのだから二十世紀も終わるはずだ。

■中学生くらいから「時刻表」を見るのが好きで、よく、時刻表フィッシングをした。できるだけ安く効率よくどこまでいけるか頭の中で遊ぶのだ。これは大物が釣れる。数字の羅列なのに魚が浮かんでくる。何度かそのまま実行した。七尾湾で雪を踏みしめ踏みしめ仲間とわくわく海に出たら、はるか沖合まで海苔ひびが入っていて、がっくりしたこともあったっけ。二十世紀は「時刻表」だ。二十一世紀は「いんたあねっと」だ。

■種子島にいた。

■河口である。初めての種子島は驚くことばかりだったけど、マングローブ林がある。種子島にはメヒルギの林があり北半球の北限である。こういうの見るといけない。河口にじゃぶじゃぶ入って、まずルアーを振ってみる。小さな川で河川改修もすすみ、吹けば飛ぶようなマングローブ林だけど、何が棲む?

■このごろ変な釣り師になったなと我ながら思う。

■たとえば昔、小笠原で巨大カンパチを狙って、駄目なら魚は一尾も釣らず見ずでも平気、さばさば帰った。「こだわり」がアマチュアリズムの精髄であって、至高であると思っていた。いまも、信条は変わらない。しかし、どんな魚がいるのか気になって気になって。鉤素0・8号から三十五号まで、あらゆる道具を小笠原に持ち込んで、一週間で七十一種の魚を釣り、小笠原を実感したりする。

■『新さかな大図鑑』や『釣魚検索』を「編」しているうちにぼくは「変」になったと思う。けど、その成果は、図鑑を見ていただくことで還元しているつもり、お許しあれ。

■とまれ、マングローブ林でルアーを振っている。

■おぎゃあと「釣り師」に生まれ落ちた初めが「投げ釣り」であってよかったと思うことがある。「投げる」ことが得意になる。基本は同じだから応用がきく。ルアーは片手投げである。手首のスナップで投げる。投げ釣りは手首のスナップは使わない。右手の「押しだし」と左手の「引きつけ」で投げる。これさえ頭に入れると竿の「撓り」を「聞き」ながら曲げこみ、竿の「反発」で投射するという基本はまったく同じだから、すぐにルアーは投げられる。とにかく「手首のスナップ」を使う。両手投げになると投げ師は投げ竿のように振ってしまうが、軽いルアーはそれでは飛ばない。両手でも「手首のスナップ」で投げる。左手はそえるだけのつもりで投げるとよい。

■違う釣りを楽しむと勉強にもなる。フェザリングを知っているだろうか。スピニングリールのスプールエッジに人差し指をそえて余分の糸がでないようにし、飛距離を調節して狙ったポイントに打ち込むのがフェザリング。投げ釣りにもフェザリングは必要だ。ライントラブルが減り仕掛け絡みが少なくなる。投げっぱなしでリールから糸が大きく膨らみどんどん出ているような投げ師は格好悪いぞ。

■ルアーは低い弾道で飛ばすこと。魚は水の中から見ている。着水した途端に飛びだしてくることも多い。このときフェザリングで余分な糸が出ていなかったら、瞬時にあわせがきく。あとサイド、スリークォーター、オーバー、そしてバックハンドくらいは投げられるようにしておくとよい。投げ師は、投げるために生まれてきたのだ。自信を持って「応用」しよう。

■飛びだしてきたのはゴマフエダイ、ロウニンアジ、ヒラスズキ、カライワシなどの幼魚。北限の魚を見ようと思って南限の魚に出合った。ヒラスズキは南限であろう。種子島はヒラスズキに包囲された島である。

■ゴマフエダイはマングローブジャックと呼ばれ太平洋の有名なゲームフィッシュ。国連食糧農業機関の『世界のフエダイ』という学術書に最大百二十センチ普通八十センチなんて大それたこと書いてある。種子島では「かわしょうぶ」と呼ぶ。

■天気が悪い。東南の風強く、ときおりスコールのような雨になる。とりあえず風雲に急きたてられるように、中種子町の熊野漁港に向かう。ここで夜釣りをかけるつもりだ。途中の河口で浮子釣りをしていた。のぞくとヒラスズキと、んっ、クロダイ、いやいや違うぞっ!

■勘はあたった。ミナミクロダイだ。種子島からの報告例はないと思う。ここの普通の「くろだい」はミナミクロダイか。標本が欲しくなって浮子釣りで粘る。暗くなってしまった。

■転がり込むように熊野漁港、釣り人がひとり帰るところ。

■きょうは悪い。けれど「しょうぶ」がひとつきたからいい。もう帰る。わはははは…。

■「しょうぶ」とはフエダイのことだ。おいしいぞ。

■すわと用意、化学蛍を見つめる。すうううううううううっと流れ星のように蛍が流れて、思いっきり合わせると、すうういっ、すうういっと走る。スピードはあるが、そう重くない。でかいアカヒメジ。つぎ、やはり軽くてオキフエダイ。そうこうしているうちに魚信は遠のき、荒れてきた。とりあえずあきらめようか。明日があるのさ。

■翌朝。あちゃあ、沖縄に台風がいる。ぼくに向かっている。大魚ならぬ大渦巻き、尻尾巻いて退散するしかないもんね。

■「きゃいんきゃいん」

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週刊釣りサンデー1999年10月17日号『快投乱麻』より転載

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 週刊釣りサンデーに1999年5月から2003年11月まで、全108回にわたって連載された小西英人さんのエッセイの中から種子島行のことを書かれたものをご本人の了解を得て掲載させていただきました。http://ffish.nifty.com/で他のエッセイも読めます。

          釣るぞ!釣たい!釣れて欲しい!釣れるかな?釣れないかもしれない

        

 オキノフナを求めて颯爽?とやってきたからには釣りたいのは正直な気持ちです。しかし、アカメ釣りの真髄に近づいている者?の予感としては、まあ、釣れないであろうというのが本音でありました。

 初日の夕方は松山さんが釣ったポイントで第1投。小西さんが後ろでカメラを構えている様子です。少し緊張しながらキャストを続けましたがアタリはありませんでした。

 

 

 写真撮影:小西英人さん

  暗くなってからは熊野漁港の突堤で釣りをすることになりました。まあ、港であればひょっとするとアカメがくるかも?宝くじよりははるかに確率は高いはず。わたしのウデからすると30%か、いいやそれは欲張りというもの、20%いや10%か・・・。確率の予測というものは現場に立つとほとんどの場合、段々と小さくなっていくのが普通です。

 どんな釣りでも、魚でも、釣りが成り立つ条件が必ずあります。釣りをするその場に対象魚がいることが絶対条件なのですが、ほかにいくつもあるのです。その条件を幾つ満たしているかによって釣果に差が出てきます。条件に合致するのが少ない、そんな時は、釣りをはじめると予測は確実に急速に小さくなります。

 チャイロマルハタ

 小西さんは「氷を買ってくる」と釣り場を離れました。

 それからすぐです、わたしのルアーロッドに強烈なアタリがでたのです。おもいっきり合わせをくれますとフックアップしました。きつめのドラグをずる、ずるずるずると滑らせながら頭をごんごん振っています。「お〜い!英人さ〜〜ん。・・っきたぞ〜、きたきた」と大声で叫びました。叫びながら見ると小西さんの乗った車のヘッドライトの光はすでに対岸の漁協の建物を越えて走っています。

 ファイトの場面を写真にとって貰ったら「絵になるのになあ」などと余裕のあることを考えながら、たたんであったギャフを振りだして取り込みのできる所でやりとりしました。かなり長かったように思うのですが、1分前後だったのかもしれません、強烈なロッドへの力がフッと抜けてしまったのです。

 その時です。わたしの大声を聞きつけて何事かと見に来てくれた地元の釣り人が「どうしました」と声をかけてくれました。夜釣りでショウブを狙っていたそうです。がっかりしながら「魚があたったので車に乗り込む前にと相棒を呼んでいたが、相棒は行ってしまって魚はバラしてしまいました」と答えました。

 その日はヒットしてきた魚はオキノフナと思っていました。魚体を見たり確実なアカメの特徴はなかったのですが、オキノフナ、そればっかり思い込んでいたのです。かなりの大物に間違いはありません。現在ではオキノフナとの確信は少し薄れてきております。それは翌日の同場所での出来事からです。

 チャイロマルハタ全長59cm、体重2.9Kg.

 1999.9.20、生まれて初めての魚を釣りました。その名も「チャイロマルハタ」。はじめはなんだか判りませんでしたが、水面に浮かせてみるとハタの仲間にはちがいありません。なんとか取り込んでしげしげ眺めてみましたが名前がわかりません。同定ではすごい小西さんでも「はっきりはわからん」といいます。家に帰って「新さかな大図鑑」をみても載ってないのです。それもそのはず、「釣りサンデー」にも写真がなかった魚だそうです。同社の図鑑に載った写真は私がここで釣ったチャイロマルハタを小西さんが写したものです。

 昨夜と同じように同じ場所で釣りを始めました。

小西さん、松山さん、阿世知さん、園田(豪・毅)兄弟と勢揃いした中、また私に魚があたってきたのです。今度はバラしてなるものかと老練なるてくにっくを駆使して寄せた魚をライトでてらした仲間は一瞬「!!!」声にならないのでした。オキノフナとばっかり思っていたのに。

 チャイロマルハタでした。

 一般に根魚はあまり動かないといいますので昨夜の逃げた魚もこのハタ君だったかもしれません。しかし、オキノフナの可能性もないことはないのです。

 
カワショウブ

 松山さんがオキノフナを釣ったポイントで到着した翌日の早朝、挑戦しました。このポイントはエバ(地方名でヒラアジ類の総称)の大型もたまにヒットするそうです。ロウニンアジ・ギンガメアジが多いようですが、50〜60センチメートルほどあるそうですから、強烈な引きでしょうね。エバの呼称は高知でも使いますが、ここ種子島でもエバというそうです。

 少し増水して濁りもあります。条件としてはかなりよいと見ました。しかし、しばらくキャストを続けましたがヒットしません。そろそろ終わろうかと思い始め、ルアーが足下近くまできたその時です。いきなりガツンとヒットしました。なかなか強烈な引きですが、アカメとはちょっと違うなあとおもいはじめました。少し強引に寄せて浮かせると赤い魚です。おや、何だろうとよく見ましたがみたことがない魚です。まあ、旨そうだし、小西さんには撮影してもらわないといけないので、傷まないようにギャフを打ってキープしました。小西さんに見てもらうと「これはゴマフエダイですよ」ということでした。稚魚はなんどか見たことがあります。クラブのメンバーの大坪さんが安芸漁港で2尾捕まえてしばらく水槽で飼っていました。しかし、こんな大きいのは生まれて初めてでしたのでわかりませんでした。英語ではマングローブジャックというそうで釣り人から人気のある魚だそうです。釣り上げたこれはこれで小西さんの話では日本では大型の部類だそうで、宿で刺身にしてもらいましたがとても美味しかったです。

 種子島での地方名が「カワショウブ」で仲間のフエダイが「ショウブ」というそうです。この仲間は引きが強いそうですので「ショウブ」は「勝負」からきているのでしょうか。

 稚魚ネットにもゴマフエダイの稚魚はたくさん入りました。初めはアカメの稚魚と少し似たところがありますので、ドキっとさせられました。

 精悍な顔立ちでしょう。「勝負、勝負、いざ勝負」。きちんと計測しなかったのですが、全長で40センチメートル前後だったと思います。(小西さんが30センチオーバーだったぞと言っているような気もしますが、まあ、気のせいでしょう。わたしも釣り師です。)

 写真は小西英人さんです。

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