オキノフナの子どもを求めて

 今回の調査行でのわたしの最大の課題が、アカメの幼魚を採集して、この地で、種子島でアカメの生活のサイクルがあることを確認することでした。情報では以前からオキノフナの釣りはおこなわれていて、これまでにかなりの数が釣られているようなのです。成魚は松山さんのサンプルで確認できました。あとは幼魚を採集できれば種子島におけるアカメの生息と再生産がが確立していることを証明できます。宮崎、高知以外での生活史があきらかになることでかれらの全体像がより正確につかめます。

 幼魚をどうしても発見したい。素人のわたしでもアカメの子どもだとはっきり同定できる季節です。幼魚は9月になると数センチに成長しているはずです。

 到着したその日に、松山さんから事前に頂いていた情報で、熊野浦でアカメの養殖を手がけていたという所を訪ねました。そこは釣り餌のゴカイの養殖場でした。ご主人に面会しお話が聞けました。アカメの養殖は試しにおこなったようで採算面などから中止されたそうです。試行用の稚魚は宮崎県から導入したといいます。地元で稚魚は獲らなかったのか質問しました。網で獲ったことがあるそうですが、獲るにはとれたが数があまりに少なくて(1〜2尾)とてもまにあわなかったそうです。記録からのお話ではないので正確ではないのですが10年ほど前のことだそうでした。試行した養殖のときのアカメが今も細々と生きているというので見せてもらいました。直径5メートルほどの円形の水槽で飼われていて、出荷できないゴカイを時々与えているだけなのであまり成長していないということでした。

 ゴカイを水面に落とすと何尾かの大きな魚がバッと底から反転しながら食べます。イシダイもいるということでした。水が濁っているのでよく見えなかったのですが、そのなかの1尾は間違いなくアカメでした。姿を見せる時にアカメの深紅色の眼がはっきりわかるのです。50〜60センチほどではないかと思いました。

 ここの従業員の方から聞いたのですが、アカメの若魚がある場所でいまでもいくらでも釣れるというのです。オオ!と勇み立ちました。餌はゴカイだそうです。ここには売るほどあります!?。今夜もそこへ釣りに行くといっていましたので場所を聞いてわたしたちも当然挑戦することになりました。夕方からの釣りだそうです。転載させていただいた小西さんの「快投乱麻 ルアーで遊びつつ投げの大魚だの巻」にでてくるヒラスズキとミナミクロダイの所です。

  餌のゴカイをここでパックにわけていただきました。

   オキノフナの若魚がたくさん釣れるというのは夕方から夜です。昼間は計画どおり稚魚ネットを引いて本格的な幼魚調査です。

  小西さんが手に入れてくれた地図に松山さんがめぼしいポイントを書き込んでくれました。参考にしながらあっちこっちと探し求めてネットを引くポイントの下見をした結果、大浦川に絞り込みました。

   スコールの中の大浦川と両岸のマングローブ林              2日後の大浦川                      大浦川のメヒルギの幼木

 

                 大浦川の河口域には広大な干潟とメヒルギのマングローブ林がひろがっている(写真上4枚は園田豪さん)           

 

 

 

 種子島にはメヒルギの木のマングローブがあります。自然のマングローブ林としては北限のものといわれます。自然のと書いたのにはわけがあります。じつは40年以上も前にここ、種子島のメヒルギの木を南伊豆町弓ケ浜の青野川河口に移植され、現在も健在で規模は小さいようですが一群のマングローブ林を形成しているようです。移植したものとして、ここが北限となっています。種子島ではマングローブ林の規模は大きくりっぱなものです。

写真上左と上中は大浦川河口域、上右と中三枚は阿嶽川のマングローブ、下左は中種子町教育委員会のマングローブ林の解説立て札

(写真は松山政敬さん)

 

 天気が悪く、時折、スコールとはこのようなものかというような強い雨が降り、川は茶色に濁っています。川底がまったく見えないのです。稚魚の採取には不向き。しかし、私たちにあたえられている時間は限られており、条件がどうのこうのといえる立場ではありません。あとで聞いたのですが、種子島では雨が強く降ると川の水量がどっと増え濁り、雨がやむとあれよあれよと平水になるといいます。山が低く流程が短いためこのような現象がおこるのでしょう。

 稚魚ネットを引くのは、小西さんは初めてでした。難しくはないのですが、ちょっとしたコツとあとは体力勝負です。持続力がいります。根気とめげないねばりと情熱が必要なのです。あいぼうは情熱はありそうです。コツもすぐ会得できるでしょうが、少したいへんではないかと心配でした。見上げるような大男なのですが、大病を患ったあとなのす。ベストセラーとなった「新さかな大図鑑」を世に出す際に無理に無理を重ねてダウンし、何ヶ月も入院生活をおくったのです。車の吹き出し口からでるクーラーの冷気が手術跡にしみるという状態だったので無理をさせることはできないのです。

  最初はわたしが流芯側、小西さんが岸側でネットを持って引き始めました。いくら職業とはいえ一眼レフの高級カメラを首にぶら下げて。もっとも途中でカメラははずして木にかけました。

  ざぶざぶ、どばどば、えっさ ほっさとネットを引きます。ある程度の距離を引いてから「さあ!あげよう」と調子を合わせてネットを引き上げ『かえし』の中の魚溜の中を覗き込みます。 期待に胸が高鳴ります。このために遙々種子島にやってきたのです。

 種子島は何て豊なんでしょう。生き物がうじゃうじゃ。ぴちぴち、ごそごそと魚溜のそこら中が動いています。

 「いかん!おらん」。しかし、小西さんはにこにこ。写真をバシャバシャと写しています。ヨウジウオがいます。ハゼ・コトヒキ・ゴマフエダイ・なんとかかんとか・なんとかがいます。でっかいエガニまで入りました。まいりましたと平伏したくなるような、強力無比としかいえない立派なハサミをお持ちでしたので、そっとお家にお帰り願いました。わたしは食いしん坊なので、こいつを喰ったらなんぼか旨かろうにという想いもちらっとかすめたのですが、いかんせん収容する容器がないのです。稚魚や若魚たちはサンプルにするため容器に全て納めました。

 下流から上流に向かって、引いていきました。めざすアカメは入りません。沢山の種類の稚魚たちがはいり、でっかいウナギも入りました。800グラムほどもありそうです。これは逃がすわけにはいかないとメヒルギの木に引っかかっていた何かの紐をエラにとおして帰りに回収していこうと川の中にいれてくくりつけておきました。

 先にも書きましたが、濁りで川底がまったく見えません。同じように引いていては疲れるので深場と浅場を交替しました。小西さんが流芯側になったわけです。

 突然、小西さんの顔がゆがみました。メヒルギの倒木が沈んでいて、その鋭い枝先でなんと膝頭を怪我をしてしまったのです。尖った枝にきつく当たったためかなり深手を負い痛そうでした。「ごめん、ごめんなあ」と申し訳なさそうに言ってくれるのですが、それはわたしの言うことです。急遽、病院へ駆けつけました。数針縫わなければならないような怪我でした。

            オキノフナ調査団

 相棒がケガでネットを引けなくなりました。松山さんも仕事があり急には休めません。困っていると松山さんが、園田さん兄弟を紹介してくれました。園田さんの仕事は午前10時ごろには余裕ができるので、ネット引きは手伝えると喜んで参加してくれました。

 三年がかりの調査をとおして、松山さん、園田さん兄弟には大変お世話になり、調査団の一員としていまも仲間のお付き合いをさせてもらっています。オキノフナ調査団がこの時に確立されました。松山さんも園田豪(兄)さんもお魚大好き人間で釣りは当然として、小西さんが驚くほど2人とも魚に詳しいのでした。

(メンバーの写真)

(1)

(2)

(3)

(4)

(5)

種子島:オキノフナ調査団(写真左より)

1.長野 博光 (写真:小西英人さん提供)

2.小西英人

3.松山政敬

4.園田 豪(写真:園田豪さん提供)

5.園田 毅(弟)

 ケガをした小西さんにかわって翌日は園田さんたちがネットを引いてくれました。新たな相棒です。しかし、やってもやってもアカメの幼魚ははいりません。相変わらずたくさんの種類の魚、甲殻類などはいるのですが。引きながら何度もなんども覗き込んでは、はいってないなあとつぶやきながら引いていました。昨日と同様、川下からどんどん上流に向かって引いていったのです。

 種子島のアカメは、これはいよいよ少ないのだと実感しました。高知県におけるアカメの幼魚の各成育場では年変動は大きいですが、かなりの密度で幼魚が確認できます。その経験から推し量っても種子島のアカメは大変少ないことがよくわかりました。いよいよ少ないのでした。採捕出来るのだろうか?

(ネット引きの写真4シーンは小西英人さん提供。上の右の写真はどこかで見たような、そうですベトナムの民族解放戦線の兵士のようでしょう。)

   幼魚がいた

 こんども入ってないかもと思いつつ、網を覗き込んだ園田さんの口から「っこれは!」わたしは「おおっ!」と同時にでたのです。

 「やったど〜〜!!」「はいっちゅうぞ〜!」「お〜い英人さ〜ん入ったはいった」と大声で叫びながら2人は小躍りしていたかもしれません。小西さんは車を止めてある場所で待機しています。大声をだしても届かないほど離れていたと思いますが、一刻も早く知らせたい一心で声を限りに叫んだものでした。

 アカメの幼魚は全長5センチ前後とみました。もうはっきりアカメとわかります。特徴のある目も立派に紅くひかっています。体色は精一杯濃くなり金色の後光がさしてもいるかのように浮き上がって見えたものです。

 1999年9月20日のこの発見と捕獲は妻に結婚の承諾をもらった時の次に嬉しい出来事でした。

 下記の表はこの時に採集したアカメの幼魚の計測表です。とても小さいサイズなのでわたしでは計測できないため、京都大学の学生さんに2001年6月21日に計測して頂きました。この場であらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。(このデータは正確なものですので、利用されたい方はどなたでもご利用下さい。このデータの使用についての承諾を取る必要はありません)なお計測時にはこの標本は無水エタノールで保存をしていたものです。

  下記計測データに私の誤記がありました。訂正してお詫びします。上段の表が正誤表です。(2005.9.21)

2. Standard length (標準体長)

3.64

36.4

7. Interorbital width (両眼間隔)

7.0

2.0

9. Predorsal length(背鰭前長)

14.3

17.9

(長さは全てmm)

備考

種名

アカメ(Lates japonicus)

採集年月日

1999.9.20

採集場所

種子島南種子町大浦川

採集者

長野博光 小西英人

松山政敬 園田豪 園田毅

保存

京都大学博物館(01.6.21収蔵)

アルコール固定標本

標本 NO. FAKU 79930

Measurements(計測値)

1. Total length(全長)

46.8

2. Standard length (標準体長)

36.4

3. Head length(頭長)

14.3

4. Snout length(吻長)

3.6

5. Upper jaw length(上顎長)

5.8

6. Eye diameter(眼径)

3.4

7. Interorbital width (両眼間隔)

2.0

8. Postorbital length of head (眼後長)

7.4

9. Predorsal length(背鰭前長)

17.9

10. Body depth(体高)

12.2

11. Body width(体幅)

3.5

12. Caudal peduncle length(尾柄長)

6.9

13. Caudal peduncle depth(尾柄高)

4.8

14. 3rd dorsal spine(背鰭第3棘長)

8.3

15. 4th dorsal spine

6.3

16. 5th dorsal.spine

4.1

17. 6th dorsal spine

3.0

18. 7th dorsal spine

2.2

19. Last dorsal spine

1.9

20. Longest dorsal ray(背鰭最長軟条長)

5.2

5th soft-ray(第5軟条)

21. Pectoral fin length(胸鰭長)

6.0

22. Pelvic fin length(腹鰭長)

7.0

23. Caudal fin length(尾鰭長)

9.2

24. 2nd anal spine(臀鰭第2棘長)

3.5

25. 3rd anal spine(臀鰭第3棘長)

3.5

26. Longest anal ray(臀鰭最長軟条長)

5.0

3rd soft-ray(第3軟条)

Meristic Characters(計数形質)

1. Dorsal fin (背鰭)

VII-, 12

2. Pectoral fin(胸鰭)

15

3. Pelvic fin(腹鰭)

I, 5

4. Anal fin(臀鰭)

III, 8

5. LLP(側線有孔鱗数)

62

6. TRa(側線上方横列鱗数)

8

7. TRb(側線下方横列鱗数)

14

8. GR(鰓耙数)

2+1+6

  

 オキノフナの稚魚の撮影風景です。小西さんの右膝の包帯?が痛々しい。レフ板の上で魚にきちんと鰭を張ってポーズをとってもらうのがなかなか難しいのです。

 やっとオキノフナの幼魚を1尾ですが、採集することができました。1尾捕まえるのと10尾では「目くそ鼻くその違い」ですが(たとえが悪いなあ)捕ると捕らないでは、1か0かでは「雲泥の差」、「月とすっぽん」の違いです。1尾でもいたということは、数は少ないかもしれない、または、今年に限って極端に少ないのかもしれませんが、いることは確実なのです。


似て非なるもの

 さて、夜の楽しみは「なんぼでも釣れる」というオキノフナの若魚釣りです。わたしは餌釣りはめったにしません。道具も持ってないので英人さんの釣りの見学です。夕方、教えてもらったポイントへいくとゴカイ養殖場の方も来ていました。

 浮き釣りです。

 釣りを始めるとすぐにお隣が魚を釣り上げました。おお、オキノフナかと期待していると「きたよ、あかめだよ。」といいます。見に行ってがっくりしました。ぴちぴちはねる10センチ前後の白銀の魚はヒラスズキの若魚なのでした。勘違いでした。

  同名異種

 勘違いというのはよくあります。特に魚では多くの地方名があり、大変ややこしいところがあります。以前アカメという名前に振り回されたことが3回ありました。

 (その一) 高知の室戸岬を徳島県のほうに回り込んだところに椎名という地名の集落があります。漁業を中心とした暮らしをしています。「大敷網」という定置網があってときどき、ブリなどの大群がはいって新聞紙上をにぎわすこともあります。

 ここの「大敷」にアカメが大量に入って近くの小学校の先生方にもお裾分けがあったという話を聞いたのです。その話はアカメをよく釣りに来ている同じ室戸市の学校に勤める方からでしたのでかなり信憑性が高いと思ったのです。おおいに興味があったものですから、だんだんと情報源に近づいていくと、なんと同名異種のアカメでした。正体は「チカメキントキ」でした。

 (その二) 釣り業界の新聞だったとおもいますが、ある大学のアカメを調べている学生から山口県の瀬戸内海側のある川の河口でアカメがよく釣れているというニュースが出ていると知らせて頂きました。話の出所にしても、連絡を下さったところからみても、これはかなり信頼性が高そうだとおもいました。山口県のアカメとなると、大事です。群れでいる!?早速、こちらも追跡していってニュースの発信源の釣具店までたどり着きました。電話で話をお伺いすると秋の今頃の季節ではよく群れで遡上してきてそれをひっかけて釣るというのです。ギャング釣りのようです。でかい錨針をつけて餌無しで引っかけて釣るというのです。(アレ?かける?これはおかしい。アカメのウロコは大きくて重なっており、大変硬いので引っかけて捕るというのは違うのではないか?)と疑問に思ったのですが、やはり疑問が的中、なんと、同名異種のメナダなのでした。

 ちなみに、ウロコの話です。潜り猟をする人によく聞く話ですが、「ミノウオ(アカメ)は横からと突いてもいかん、前からじゃとまったくいかん、モリがたたん(刺さらない)、斜め後ろから突かんといかん」そうです。斜め前から突いたら「ボン」という音がしてウロコが1枚刺さって、数枚のウロコがバッと剥がれて逃げられたそうです。

 (その三) 文書はこわいと思った出来事です。週間釣りサンデー社の依頼でアカメの記事を書かせて頂きました。その、本に「諫早湾にもアカメがいるらしいと書いたのです。この(いるらしい)の根拠になったのが、「有明海の漁」という写真集だったのです。(この本は大変素晴らしい本ですので後で少し紹介します。)この本の中に「アカメ」という魚名が出てくるのです。また、同名異種ではないかと思って気をつけて読んでみました。しかし、メナダをアカメともよぶときちんと書かれています。これだけ正確ならと早合点したのです。これもやはり、あとで「アカメ=メナダ」と分かりましたが、書いてしまった後ではもう訂正がききません。出版された後、HP「アカメの国」に「長崎県にもアカメがいるのか?」という質問を頂き汗をかくような思いでお詫びしたことです。

 「有明海の漁」 中尾勘悟写真集という本が葦書房から出されています。初版は1989.7.15です。著者は中尾勘悟氏。中尾氏は元高校の教員でした。諫早湾干拓事業がすすむなか早く記録しておかないと干潟が消えてしまうという危機感と経費捻出のため定年まで4年を残して退職、中尾氏の労苦が貴重な資料「有明の漁」を残してくれました。本の定価は16.000円ですが、少しも高いとはおもいません。豊饒の海だった有明海、伝統漁法などが素晴らしい写真で記録され表現されています。

 人間はいったい何をしているのだろうと思い起こさせてくれる本です。

 さらば種子島

 幼魚を採集してほっとしていると、天気予報で不気味な渦巻きが現れました。台風が沖縄の近海にいてこちらに向かっているというのです。台風が相手では立ち向かうには少し相手が悪すぎます。悪天候では調査もできません。昔からオキノフナを釣っていて現役でもあるという方の聞き取り調査もしたかったし、お隣の屋久島へわたって、この地でオキノコイと呼ばれて、アカメであろうといわれている魚のことも調べたかったのです。小西さんは怪我はしているし、台風の影響で滞在日数が延びると仕事に差し障りが出るということで心残りはありましたが、予定の日数を切り上げて、第一回調査は終了することになりました。

 さらば種子島。また来るぞ、種子島。 


 

 

 

 

 第二回種子島調査へつづく(筆が遅いことをお断りしておきます。この連載はかなり長くなりそうです。ということで宜しくお願いします。)

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