土佐の西部に流れる大河「四万十川」、あまりにも有名になってしまったのであらためて紹介の必要などないでしょう。その四万十川とアカメはきっても切り放せない間柄です。四万十川というと「ああ、あの幻の魚、アカメがすむ日本最後の清流か」とか、あるいは逆にアカメというと四万十川を連想するというような関係です。四万十川のアカメを広く世に知らしめたのは何と言っても矢口高雄さんの「釣りキチ三平」でしょう。以来あこがれの幻の魚として釣り人の脳裏に焼き付き生きつつづけているようです。
ここのアカメ釣りはフィッシング岡田(四万十川のほとりの釣具店)のご主人岡田光紀さん(全日本希少魚保護協議会会長)のお話ではかなり古くから行われていたようです。岡田さんのおじいさんもたしなまれていたそうでその当時のラインは絹糸をよりあわせて使っていたといいます。戦前、戦後を通じごく最近までアカメ釣りは特殊な釣りで四万十川で漁を生業とする川漁師や条件をもったごく一部の人たちだけにできる釣りだったのです。現在のように情報網もなく、まして、まったく関わりのない人々、あるいは釣り人にとって、アカメはそれこそ、知る人ぞしる巨魚だったのです。つまり、このような大魚に手をだせるようになるには、岸から釣ることができる、そのための道具が一般の釣り人の手に入るようになるまで待たなければならなかったのです。そして、その一部の人たちもアカメを職漁の対象としていたのではなく、楽しみの釣り、文化としての釣りだったといいます。釣れると近所の人や友人が集まり酒を酌み交わすそういう魚だったのです。
アカメ釣りの名人といわれる人もいました。しかし、その名人でさえ釣れないときは何日も何日も当たりもなく、朝、獲物もなく手ぶらでかえる道すがら近所の人に会うと照れくさくて「馬鹿じゃないとできん釣り」だったそうです。わたしもこの馬鹿の一人なのでそこのところはよくわかります。
最後の清流と言われますが、現実はかなりきびしくなっています。1998年河川別の水質ランキング(建設省が実施した水質調査)では全国で最もきれいな川には黒部川(富山)と安倍川(静岡)が選ばれました。この両河川の水質汚濁の度合いを示すBOD(生物科学的酸素要求量)値(mg/P)は0.3mgです。四国で一番きれいな川は穴吹川(吉野川水系、徳島県)0.4mgで二位が高知の仁淀川0.5mg、三位が同物部川0.6mg、四位に四万十川、後川(四万十水系)、貞光川(徳島県)、吉野川(同)、那賀川(同)、各0.7mgです。四万十川と後川は前回の二位から四位への後退となっており残念です。
四万十川にもあの悪名高きブラックバスとブルーギルが住み着きました。もう7〜8年になりますが、沈下橋としては最下流に位置する佐田の沈下橋へ子ども達とキャンプにいったときのことです。ガンメン(水中マスク)で覗く初めての四万十川は川魚や手長エビなどがうじゃうじゃといて、あまりの豊かさに驚き喜んだものです。沈下橋の橋桁のまわりの深みにはなんとキビレチヌが泳いでいました。オイカワとナマズとキビレを一緒に見るなんて、なんと不思議な光景かとビックリしました。こうしたなか、近くで釣りをしている子どもの獲物を見ると見たこともない小魚がバケツの中に入っています、「この魚は、何という魚ぜよ?」と聴くと「こりゃあブルーギルよ。なんぼでも釣れる。」というのです。
止水の湖沼のようになんぼでも増えるというような恐れはいまのところないようですが、四万十川の支流の中筋川ではスズキといっしょにブラックバスが釣れていてなんとも?です。全日本希少魚保護協議会の会長さんはブラックバスを釣ったらキャッチ&リリースではなくキャッチ&食べるを勧めています。みなさんもアカメを釣っていて、環境エイリアンとも呼ばれるブラックバスやブルーギルを釣ったらけっして逃がしたりせず美味しくいただきましょう!。
アカメのルアーフィッシングが盛んになったのは1984年、土佐レッドアイの大坪さんが雑誌に紹介して、ルアーでのアカメが全国的にセンセーションを巻き起こしてからでしょう。’70年代後半から高知県東部ではすでにやられていたのですが、ルアーの対象魚として全国的に認知されたのはそれからです。’86年頃より日本各地からアカメを求めてたくさんのアングラーが訪れるようになりました。そして「釣りキチ三平」で有名になっていた四万十川のアカメを求めてのルアーフィッシングが盛んになっていきます。現在、日本記録として知られているのは1994年8月10日、中村市伊沢で中村信夫さんがルアーで釣った、137センチ(拓寸138.2センチ)です。30キログラムを超す大型魚の記録はたくさんありますが、記録として残されているもので、わたしが知っているのはアカメ釣りの名人として有名な片山勝啓さんが舟から釣った40キログラムが最大です。1957年(昭和32年)に釣られたものでこの年には他に30キロ、25キロというアカメも釣られています。
中村信夫さんの日本記録魚(1994-8-10)、ガイドの自転車置き場で魚拓をとる前の記念撮影(1994-8-12)、右から(故)島崎祐二さん、大坪保成さん、中村信夫さん、小松希梨子さん、長野有希さん。この記録魚は京都大学附属水産実験所の木下泉さんにサンプルとして提供され内蔵などサンプリングされたあと剥製にされて、同実験所(舞鶴)に所蔵されています。右は、1996.8.10(ちょうど二年後)に同じポイントで愛媛の森田章さんが釣った129センチ、推定30キロのアカメ、リリースしたため体重は計測せず。
全日本希少魚保護協議会の岡田会長のお話によると、最近はアカメの釣獲数は激減しているそうで、心配されていました。ただ釣獲量の増減は数年単位で見る必要がありますが、四万十川では稚魚の乱獲や環境の悪化など不安材料が多すぎます。こうしたなかで、同会はアカメのキャッチ&リリースを呼びかけておりそれが常識になりつつあると喜ばれていました。
フィッシング岡田の店内でご主人の岡田光紀さん、後ろの剥製は村崎祥夫さんが1996-5-31に四万十川で釣った1.3メートル、33キログラムのアカメ。IGFAのレコード。
四万十のアカメはテレビなどマスコミで何度も繰り返し取り上げられ、スーパースターになりました。 ここ毎年アカメとのファイトを求めて四万十川を訪れる釣り人は4桁の数字になるのではないかといわれるほどです。そして、有名な観光地になった四万十川にどれほど多くの人々が来てくれているのでしょう。中村市内、四万十川のほとりのお土産店にはたくさんのアカメグッズが並んでいます。テレホンカード・バンダナ・タオル・キーホルダー・箸置き等々。看板にも大きなアカメの文字が踊ります。文字どうりアカメの名をいただいたお店さえあるのです。自治体もしかっりアカメで観光を盛り上げようとしているようです。新しくできた四万十川最下流にかかる四万十川大橋の欄干のモニュメントとして大きなアカメが大河を背景に空に向かって躍り上がっています。
アカメをとりまく環境は段々厳しくなってきています。アカメやその他100種をこすという魚類の生命を育む大河は人の手によって傷つけられつづけています。わたしたち釣り人はかってなもので釣りで絶滅するようなことはないといいながら釣りをつづけていますが、釣りと環境破壊では魚に与える影響は比べ物にならないほど桁がちがいます。環境破壊は水爆級とすれば釣りなど紙鉄砲のようなものです。
アカメの稚魚やほかのたくさんのちびちゃんたちを育む保育所があります。河口の汽水域です。ここの環境が荒らされると大変なことになります。四万十川の河口に広がる汽水域はいまでは日本国中を探し回っても見ることはできないほどの豊かで貴重な自然が残されているといいます。干潮時のヨシ原のドロのうえにはムツゴロウによくにたトビハゼが這い廻っていて近づくとぴょんぴょん跳んで逃げます。
いまここが狙われています。
河口近くの右岸に宿毛市のほうから流れきて四万十川に合流する支流、中筋川があります。河床勾配がゆるいため増水と満潮時には逆流して中筋川が氾濫する危険があるということで、この川と四万十川の合流点を堤防でしきって下流の間崎にある大島(大きな中州というよりは小さな島)まで中筋川を延ばしてその流入点を海に近づけようという大工事のようです。素人のわたしにはこのような工事がどれほど洪水対策の効果があるのか全く理解できませんが、その工事があたえるアカメと四万十川の豊かな自然への脅威はいやというほど理解できます。わたしが子どもの時代、川は自然とのひじょうに密なふれあいの場、生命の学校でした。命に満ち溢れていたのです。川が掘り返され岸がコンクリートで固められ砂防提という魚を分断するためだけしか効果が無いとしか思えないコンクリの建造物が下流からドミノ倒しのドミノのように上流に向かってつくられていきました。小さな溝のような谷も実に豊かでしたが、岸も底もコンクリートが張られました。まるで進歩?と発展?の象徴がコンクリートのようでした。わたしを育ててくれた川は死にました。
四万十大橋のアカメのモニュメント。四万十川と大きな工事用車両をながめるアカメはさみしそうでした。右は四万十川に立ち込んで釣りをする二人の釣り人。
アカメよ頑張れ!おまえたちがここにいるだけで四万十川の自然の豊かさがクローズアップされ、それを守ろうという世論がもりあがる。日本に残された貴重な遺産、四万十川の守り手、アカメよ生きろ。
四万十川ではミノイオ(下田)、ミノウオ(竹島)、*アカメ(下田・竹島)と地方名で呼ばれていました。ただし、*アカメと呼ばれるのは1貫目(約4キロ)以下の小型魚で60センチクラス以下のものです。大きくて堅いウロコが蓑(ミノ)状に重なり全身を被っているためミノイオ・ミノウオと呼ばれるのです。このウロコは130センチ、30キログラムほどのミノウオになると大きいものでは5センチを越え、堅いため靴ベラに使えるほどです。このような大型魚は料理するときウロコをクワではぐという話があります。農作業につかう鍬です。知らない人は大げさだと笑いますが台所で使われているウロコ剥ぎなど通用する代物ではありません。実際にクワでウロコが剥がれていたことでしょう。
別のページにも書いていますが、アカメは同じ高知県下でも他の魚種と同じように各地の地方名があります。ミノイオ・ミノウオという名は比較的土佐では一般的であり東部の田野、奈半利町でもそう呼ばれています。そして、昔から珍しい魚であったためかごく限られた地域しか通用しない地方名もあります。(例、シンチュウメ=土佐東部、安芸市下山地区)こうした地方名や大きくいうと地方語(方言)がどんどん廃れていくのは寂しいものがあります。テレビの普及とともに共通語が広がり子ども達には土佐語が通用しなくなってきました。地方語はその土地の土の匂い、海の匂い、生活の匂いがあります。大切にしたいものです。
建設中(大幅改編もあるかも)