おもしろいお話


アカメってヘン?ヒトも?

 長い間、釣りやアカメの調査をやってきました。そうしたなかで、色々とおもしろい体験をしました。このコーナーの各話題はすべて実話です。アカメはその生息域においては魚族の中の王者かもしれません。だからなのか性格も鷹揚でじつにのんびりしたところもあり、擬人化すると、少しおっちょこちょい風な好人物像になりそうです。そして、こうしたアカメにのめり込んだ人たちにも、どこか少しアカメに似た所があるのかも。


 (23話)アカメの若魚の大群がいた!水中写真も写したぞ!!(2010年7月25日)

アカメは群れでいるのだ!

画像提供:櫻井由隆さん(アカメと自然を豊かにする会会員)

 下記の****で囲んだ記事は、櫻井さんからいただいたメールを、許可を頂きそのまま転載したものです。櫻井さんは標識放流(タグ&リリース)でも大活躍している達人なのですが、一芸に秀でる人は、やはり違います。一人でアカメの群れをルアーで誘い、寄せておいて、丁度持っていたハウジングにいれたデジタルカメラで苦労して写したものです。

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2007年11月

岡田さんから連絡が!

某場所でアカメの小さいのが追っかけてきましたと入り!

早速早朝からチャレンジに(笑

1打めルアーを巻き取るときにあたりが!

2打め微かに見えるルアーの後ろに無数の影が!!

かなり手前までルアーが戻って来たときです、

一匹がすごい速度でアタック!

アカメだぁ!!!

小型は判っていたことだが!大群!

ルアーの後ろを無数のアカメの幼魚たちが着いて来る(笑)

何回投げても必ずゆっくり群れが着いて来る!

 

面白い!!!!

釣れるとか釣るとかはどうでもいい!とにかく良いものが見れた!

 

そうだ☆ぴき〜ん!

 

写真に撮ろう!ぴき〜ん☆!

 

私のカメラはそのときたまたま水中撮影用のハウジングに入っていました、これなら水中の様子が撮れる^^

早速カメラを車から取ってきてチャレンジ!

 

まずはルアーをキャスト!

アクションを加えながらゆ〜〜〜〜くり手前に引いてくる、

やっぱり着いてきた〜ww

黒い影の軍団w

 

肉眼でも赤い目が沢山見える!かなりの数

ここでカメラ登場!

そ〜〜と水の中に左手で入れていく・・・

右手はロッドを小刻みに振りながら・・・・疲れる〜ww

右手も左手もビリビリしびれるww

2回ほどポロッとカメラを手から落とす・・・!

きゃ〜〜〜濁るょ;;

少し濁ってしまったがまだ目ぐらいなら写るかも!

「ピロロ〜ンッ!」

撮れたぁ!!!!

 

っと

このときの写真がこれなのです。

アカメが群れになる証拠写真

写真には7匹分ぐらい写っていますが

実際は50〜60?もっとかな?いましたよ@@;

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 櫻井由隆さん、お見事でした。快く、画像と記事を提供していただきありがとうございました。群れで行動するという、アカメの生態の貴重な一部が明らかにされました。


 (22話)幻の日本記録(2001.10.28)

 01.10.10、前日の雨で川は増水しました。今年は例年にましてヒラスズキ、アカメがよく当たっていました。ヒラスズキねらいで出かけたのですが、夕方の河口はすでに濁りが薄まり波もないでいました。これはヒラよりもアカメだなと思ったのですが、タックルはヒラスズキ用のものしか持ってきていません。30分ほどトップでヒラをやってみましたが反応がまったくありません。そこでシンキングのミノーに交換してアカメに切り替えたのです。ねらいはどんぴしゃんとあたりました。3投目のルアーが流れにのって小さな河口の流芯の波打ち際に近づいた時です、グンと手応えがあり一瞬止まったのです。「???!」アカメがいぶかっているような全く動かない緊迫のひとときです。これはアカメのヒットの瞬間、よくあることで特徴の1つでもあります。それから走り出しました。

 わたしはアカメ用のタックルにはラインは30lbを多用します。河口など障害物が全くないポイントなどではたまに20lbを使いますが、大物がくると自信がありません。また、アカメにたいして失礼だと思っています。

 その日は、16lbを巻いていると思っていましたので、ドラグは緩くしてありました。そのドラグをジージー ジージー ジージージージー ジージー引き出していくのです。おまけに近くの導流堤のテトラの方に向かうではありませんか。このラインでは止めようがないのでロッドを思いっきりつきだして波の中に可能な限り前進してテトラに糸がさわるのを避けました。しばらくそうやって耐えていたらやれ嬉しや!沖に向かってジージー ジージーじーじーじー。それからは少し巻いてはジージー ジージーじーじーじーを繰り返していました。

 細いラインで大物と闘う時どうしています?

 わたしはサーフみたいに後ろに制限のない場所では、ゆるめのドラグとロッドの角度で対戦します。角度を大きくすると抵抗が大きくなるため設定よりもおおきな力が働きます。相手が急に走ればロッドを倒すとよいのです。ドラグがスムーズに設定通りにはたらいてくれます。ただし、こうした時はリールのハンドルは巻けません。そこで自分じしんが前後してリールを巻くのです。つまり自分が動くことでポンピングと同じ効果を得られます。ロッドを真っ直ぐ立てまま後退しこんどはダダダダと前進しながら巻き取るのです。

 「おお!腕が痛い、つりそうになってきた、久しぶりだなあ!」と腕の痛さをよろこんでいるうちにさすがのアカメも少しずつ弱ってきました。やっと白い泡の中に横たわったアカメは大型でした。

 その日はその後、別の河口でヒラスズキの7.1キロを追加して、内川さんと合流、彼はヒラスズキを2尾とっていまいした。

 翌日、アカメは計測後解体して必要な部位をサンプリングしたあと、ヒラとともにご近所にお裾分けして美味しく頂いたのです。そして大物と対戦して少し疲れたかなとラインを交換していた時です。「ありア 糸が細い!」同じ16lbと交換するつもりだったのですが、リールのラインはさらに細いのです。そこで思い出しました。イカを釣ろうと思って12lbを巻いていたのです。16やら12やらはめったに使わないので見比べるまで気がつかなかったのです。後日、内川さんと会った時そのことを話すとそれはJGFAの記録ではないかといいます。そんなことはあるまいと思いましたが一応確認してみました。ヒラスズキは9.1キロが日本記録でしたが、アカメも9.1キロでした。ということは、10.3キロなら・・・

 


(21話)あ!かめ!?(2001.3.21)

 1999年の晩秋の話です。友人に協力してもらって、例年のようにアカメの幼稚魚の調査をしていました。この年は、少し場所をかえて、ほとんど淡水域での調査をやりました。淡水で、ある条件下ではアカメの幼稚魚が生息できるのではないかと仮説をたてて調査に入ったものです。その日の川は、初めて調査する川で数種の水棲植物が繁茂しています。下流から上流に向かってネットを引いていきました。ここは、じつにたくさんの生物がいました。汽水の幼稚魚ではヒナハゼ・コトヒキ、淡水魚ではウナギ・テナガエビ・ウグイ・タイリクバラタナゴ・ナマズ・ギンブナ・オイカワなどなどで、ナマズはたくさんいました。大物では60センチを超すようなのもいます。とある場所で、水草を足でざぶざぶ踏んで魚をおいたてているとネットが激しく動きます。おや?大物のナマズかウナギではとネットの中を覗いてみると、びっくり、小型の水鳥が入って暴れているのです。ネットの口を広げて逃がしてあげると、後ろを振り向き振り向き、水面上を羽ばたきながら下流に去りました。アカメの幼稚魚の生息の可能性はありそうでしたが、ナマズがこれほど多いとかれらに食べられてしまって、生き残って成長するのは、なかなか難しいのではないかと思われました。こんどは水草のなかを引いたネットが、ごわごわ動いています。まさかまた水鳥ではないだろうと、興味津々、二人で頭をくっつけるようにして覗き込みますと、あ カメ!だ。アカメではなく、あ!カメでした。


(20話)価値観?(2000.8.4)

 一昔も前のこと(年のせいか昔話が多うなった)、アカメ釣りの仲間が集まって釣りの話に興じていたとき、「ざまなが(巨大なやつ)をかけてやりとりして、と、いうよりやられっぱなしで(糸が出っぱなし)ドラグをしめても止まらんかった。そうこうしているうちにスプールが見えてくるほど出された。」「ほんでどいた(それでどうやった)。」やりとりした本人、「ハサミで糸を切ったわや。タックルを壊されたらたまらん。」一同絶句。

  みなさん、どうします。わたしだったら糸を全部だされても、服のまんま可能な限り水に立ち込んででも一秒でも多くファイトをしたいと思うのですが。ロッドの一本、リールの一台ぐらい壊されてもわたしだったらやれるところまでやります。


(19話)ニベ???(2000.5.14)

 あんまり魚をよう釣らんもんじゃき、きょうは安芸市の魚屋へ寄りました。マンボウ・カツオたくさんの魚が並んでいます。先ずモンゴウイカのゲソの舟盛り(一盛り100円)を二盛り買いました。メジカ(ソウダカツオ)の新しいのが安い、100g25円、一匹買いました。大きな魚のアラが舟に盛られています。ニベ200円とある。おお!オオニベじゃろうか?食べたことがないので俄然興味がわいてきました。お店の人にオオニベじゃろか?と聞くと「そうじゃろう〜」と気のない返事がかえってきた。こりゃいっぺんは食べてみんといかんと思って一舟買いました。家に帰り料理です。カミさんは魚にはさわらんので料理はいつもあたし。イカ、メジカと鍋にかけて、最後にニベにとりかかりました。小袋からだそうとして兜わりされた頭の目と目があった瞬間!!?ありゃ、アカメの金目(アカメとはこんな魚ですのページ参照)によう似いちゅう。まだオオニベと思っていました。カマの部分、臀鰭の部分と取り出しているうちハッと気がつきました。「おかあさん(カミさんです)!こりゃあアカメぞ!!!!」「どりゃ?」と見に来たカミさんも「そうじゃねえ、あんた今まで気がつかんかったが?」と言われてしまいました。そんなこと言われてもオオニベといわれて買うてきたがですきに。アカメとは・・・のページの地方名にヌベ・タヌキ(安芸市)と書いてありますがニベもつけ加えることにしました。


(18話)水面にボラでもいたの(3)?ちっとはやい!?(2000.4.23)

 「四万十川で最大級 体長130センチ アカメ」これが今朝の高知新聞の朝刊の社会面のみだしです。目に飛び込んできました。読んでみると河口近くの間崎で大アカメの死がいがみつかったそうです。すでに死後1日ほどたっていたそうで発見者の漁業、寺岡さんは魚拓にとり剥製にして四万十川を訪れる方に見てもらいたいとと話されていたそうです。寺岡さんの想像では餌のボラなんかを追っているうちにアオサノリの網に掛かって死んだのではとのことだそうです。毎年の恒例のようになってきたアオサノリの網での事故死は昨年(五月十一日)、一昨年(五月十九日)と今年は四月二十一日と段々早くなってきています。この話題を読んでいたアカメファンのし○○さんは本気で五月の釣行を考えていたようですがさてどうなることやら。


(17話)ナマズ(1999.12.24)

 1999年秋、アカメの稚魚調査で23尾の稚魚を捕まえました。20尾はサンプリングして3尾は懲りずに飼育調査することにして、現在家の水槽で飼育中です。今回は純淡水での飼育です。さて、その餌穫りではやはり苦労しています。こんどは稚魚調査で初めてネットを引いた場所で沢山のエビや小魚が豊にいる川を発見したのでもっぱらそこに頼っています。12月21日、餌を穫りにでかけました。この場所は二回目でだいぶ餌穫りのコツもつかめ、たくさん穫れました。もう帰ろうかと思いながら最後の一網をいれるとものすごい手応え。前回は大きなウナギがとれたのでまたウナギかとのぞき込むとナマズ、それもただのナマズではなく見たこともない巨大なナマズなのです。普通サイズのナマズはよく網に入るのですが逃がしていました。これは一見の価値があります。家族に見せてやりたいという想いと喰いたいという欲望が沸いてきたのです。で、キープしました。

 入れ物がないので新聞紙でグルグル巻きにしてガムテープで留めて後部座席の床に置いて図書館からなにやらで用事を済ませ帰宅したのはナマズを捕まえてから4時間後でした。で、家に運び込み包みをほどくとなんと元気なのです。新聞が濡れていて、皮膚呼吸ができたのでしょうか。ウナギよりも強そうです。

 全長を測ると60センチほどあります。胴回りは娘のふくらはぎほどもあるのです。あらためて「こりゃあ、ふ太い!!」。水族館へ寄贈したらという妻、「そんながを食べたら祟るで〜」と次女、「平成南海大地震でもおこされて建てゆう家が壊されたらどうするが〜!」は長女。う〜ん。 考えましたが、結論がでません。そこで一晩考えることにして大きなアカメ用のスチロールの箱に水を張ってブクブクをかけ、そこでお休み願いました。

 朝は元気でした。妻が、娘が入れ替わり立ち替わり見に行きました。置くところがないので風呂場にいるのです。夕方、帰宅してから真っ先に覗くと「ありゃあ 死んじゅう」、ぴくとも動かず呼吸もしていない。 ように見えたのです。新鮮そうな色だったので食べようと水をだしていると暴れだしたのです。ビックリしたのですがもう食べようという気はかわりません。

 台所のシンクいっぱいに横たわったナマズはしめようとすると大暴れ、本当に地震が起きそうなほど暴れました。いざ料理しようとするとヌルが凄いのです。ヌルにはアカメで慣れるているつもりでしたがアカメのヌルよりもヌル度が強くぬるぬると後から後からヌルがでてきて果てがない感じです。キッチンペーパーを一箱使いきるほど使ってヌルヌルするヌルをふき取りそれでも滑るので妻に手伝ってもらって何とか三枚におろし、蒲焼きにしました。

 妻も長女もわたしも一口食べて箸を置きました。しかし、次女は美味しいと1人でほとんど食べてしまいました。美的感覚とか味覚には人好き好き、蓼喰う虫も・・・といいますが改めてそのことに思いをいたした次第です。

 嗚呼、祟りが恐い。


(16話)水面にボラでもいたの(2)?

 1999年5月11日、高知県中村市四万十川河口、近くのアオサノリの養殖業者、沖さんが、漁期が終わった養殖用の網を片付けていたら、水面に白いものが。死後一日ほどたっているアカメだった。全長、121センチ。何と、二年連続での大アカメ。昨年は5月19日。二度あることは三度ある。来年の五月にはここに行こうと思っているのでしょう、あ〜た。

 たった十五センチ四方の網の目に頭を突っ込んで抜けなくなっアカメ、この網って水面に広げてあるんです。


(15話)嗤う磯ヒヨドリ1999年4月13日、きょうはアカメにどうしても会いたいとでかけました。昨年は三月にバラしたところです。時間は16:00ごろ、はっきり言って昼間です。釣り始めるとすぐ後ろにいつものように磯ヒヨドリが来てピーチクパーチク?ささやいています。「おまんもこりん人じゃの〜」と聞こえます。いかんいかん、雑念を払ってはじめて10分ほどで「カン」という硬い衝撃がきました。

 わたしのあわせは友人に言わせると「ガイ〜ン!」という感じだそうで本人は意識しないのですが、かなり強烈なあわせだそうです。そのあわせをやったのですが、フックアップしませんでした。

 ルアーを手にとってフックを見ると真っ赤かに錆びて粉がふいているではありませんか。かなり強く押しつけないと指にも刺さりそうにないのです。わたしは不精でフックの錆などまったく気にしないのですが、これにはさすがにわたしもあきれました。この時です、すぐうしろで磯ヒヨドリが孔雀のように尾羽根を広げて羽根を羽ばたいて、けたたましく嗤っているのです。「ガヒヒヒヒ・ウヒヒヒヒ」と聞こえました。

「ふん」

 1999/4/28


(14話)びっくりした!?(2)1994年9月、アカメの団地を発見したわたしは土佐レッドアイの仲間だけに連絡して密かに楽しんでいました。連日、アカメの強引を堪能しました。その日はまだ夕方で、明るいうちでした。リトリーブしている手元に”カン!”という独特の衝撃がきました。思いっきりあわせると水面から躍り出た大アカメは何とテールウオークでざまな(大きな)水音をたてて20メートルほどラインを引き出し、潜ると同時に30Lbのラインをトバシて去りました。ぼこぼこと障害物のある場所でしたのでそれで擦れたのでした。対岸にはチヌ釣りの釣り人が数人いたのでみんなビックリしたろうと思って注意して見てみましたが誰も気付いた様子はなく拍子抜けしたものでした。

 後にも先にもあんなファイトは初めてでびっくりしました。テールウオークといえるのは最初の数メートルでしたが、潜り込むまでは全身を水面にだしながら大暴れして、はでな水しぶきをあげ、ざまな水音をたてて度肝を抜かれました。いまでも鮮やかによみがえります。

 話はまだ続きます。しばらくヘタリコンでいたのですが震える手先でラインシステムを組み直して再開しました。30分ほどしてからようやく夜のとばりがおりはじめたころ薄明の水面下に巨大な魚影が目前をゆっくりと横切っていくのです。あまりの大きさに呆然と見とれていたのですが、はっと我に返りあわててルアーを投げてはみましたがまるっきり反応がありません。すぐ近くなのでルアーは思いどうりの場所を通せるのです。数回やってふっと気付きました。アイツさっきバラしたアカメで「オレを痛い目にあわせたのはどいつだ」とみにきたんではないか?

    1999/4/10


(13話)びっくりした!? 1989年8月16日、高知県東部のある河口の河川域でアカメを釣りました。それまでの自己記録魚で108センチ・21.3キロのアカメでした。10キロを越すようになるとハカリがなく検量出来ないのでいつも友人のOさん宅で検量してもらいます。ハカリに載せて計っていると鰓蓋から何か出ています。よくみるとスイベルがついたラインのようです。?????わたしはスイベルがついたラインを切ったりはしていないはずなのに「こりゃあなんじゃろう!!?」スイベルをもって引っ張ってみました。

どこかに引っかかっています。こんどは口から覗いてみました。なにかコイル状のものが見えます。

大きな口から手をいれて何とかとりだしてビックリ!?ボラの吸い込み仕掛けなのです。

ボラ釣りをしたことはないのですが、円錐型のコイル状の針金に赤土に何やら混ぜたものをにぎりつけてその中に幾本もの針をしのばせておいて、ボラが団子をつついている内に針を吸い込むという仕掛けのようです。針は錆びていて折れているのもありました。かなりの時間を経過したようでした。

 つまり、こういうことです。

 ある釣り人がボラの吸い込み釣りをしていました。待望のボラがかかりました。釣り人がボラとファイトをしている内に、バシュン!ボラばかりか吸い込み仕掛けもろともアカメが吸い込んでしまったのです。さぞかし、釣り人はビックリ仰天したことでしょう。リモコンカーほどの手応えだったロッドがいきなりダンプカーになってしまったのですから・・・。アカメはサービスのつもりで背鰭ぐらいは見せてあげたかもしれませんし、潜ったまんまだったのかもしれません。とにかくあっと言う間だったことでしょう。ラインはバン!という音をたててぶっち切れたと思われます。

しばらくして、まだ頭の半分ほどが真っ白なまま、手の震えをおさえながら仕掛けを作りなおしている釣り人の姿がみえてくるようです。

 「おじさん、ビックリしたろうねえ。わたしもビックリしたぜよ。」


(12話)うそつき! 1996年8月、友人のOさんがアカメの稚魚を2尾捕まえてきました。当歳魚で一尾は6cmほど、もう一尾は2cmほどでした。かれは同じ水槽で飼っても大丈夫だろうかと心配していました。近縁種のカルカリファ(オーストラリア名=バラマンディ)は気性が荒いようで同じ水槽には一尾しかいれられないそうです。でも、わたしはどこかで聞いたのか?読んだのか?アカメはとても仲がよいといっていたような記憶があったので「アカメは仲良しだそうだから大丈夫!じゃろう。」と言っておいたのです。しばらくして、「長野さんのウソつき!いっしょに飼いよったらこまいがが(小さい方が)おらんようになった。アカメは仲良しどころか共食いするじゃいか!!」とおこられたのです。

 わたしはウソつきです。みなさんも気をつけるように。トホホ。

 こんな話を「おもしろいお話」に載せたらこれがおもしろいか。残酷な話だ。バーロウとおこられるかも。とほほ。

 そうそう、かれはいまだにそのアカメを飼っていますが、それ以来病気がちです。どうしてか判るでしょう、みなさん。


(11話)アカメのうがい アカメは祟るで書いたように、生態調査のためアカメの稚魚を数年飼育していました。その中に、太郎アカメと名付けたアカメがいました。太郎アカメは京大の調査チームの稚魚採取にはじめて参加して、わたしが捕まえた最初のアカメでした。捕まえたときには、30cm弱の2歳のアカメで長期にわたっていた京大の稚魚採取調査でも珍しい年齢で、サンプリングしたいというのを断って飼育調査したいとのわたしの希望をとうして、生かして持って帰ったものです。

 アカメは食事に関してはかなり保守的で、生きエビばかり与えていると、突然小魚を入れてもすぐには食べようとしなかったり、タカハヤばかり与えているとヨシノボリを入れてもたべなかったりします。特に、ヨシノボリは夏の食欲旺盛時期でも食べず何か忌避物質でもだしているのではなかろうかと考えたりしたほどです。アカメの夏の食欲はすさまじいもので、四六時中空腹なのではと思うほどで、水槽に近づくと水面に頭をもってきて胸ビレを小刻みにふるわせて甘えるような姿勢で待ちかまえます。夏のある日、谷川で餌のタカハヤを穫っていたところウシガエルのオタマジャクシが網に入りました。ムクムクと研究心?がわいてきて、似たような姿だし、色だし、旨そう?だし、水面で瞬時に餌を吸い込むからオタマジャクシを与えるとどうするだろう、食べるだろうかと、もちかえりました。

 タカハヤを2匹先に与えました。落とすと同時に飛沫をあげて「バシュン」!?という音とともに吸い込んでしまいます。ワクワクしながらウシガエルのオタマジャクシを入れました。飛沫があがって音がするまでは同じでした。バッと後退したアカメは最大限に大口を開けてオタマジャクシを吐き出しました。そして、ガラガラペっとうがいをしたのです。

 気を悪くしたアカメは再びオタマジャクシには近づこうとせず精いっぱいはなれてオタマジャクシを横目の赤目で睨んでいました。


(10話)アカメは祟る?!おもしろい話は全て実話です。ネタ切れかなと思っていたら江戸の旦那がヒントをくれました。みなさん、アカメはタタルのです。ほんまです。

 わたしは、生態調査のためアカメの稚魚を数尾、数年にわたって飼育していました。腰痛で入院して手術する事になって、それまで飼っていたアカメの世話ができなくなって、ある水族館と友人に疎開させました。現在もそのままで、わが家には1尾もいません。その、数年間のうちアカメの生きエサ確保のためある谷川のモツゴ(タカハヤ)とサエビを絶滅させそうなほど穫ってアカメに与えていたのですが、その、エサ穫りで二回ひどい目にあったのです。最初は左足の膝の後十字靭帯断裂という大怪我で2カ月あまり入院しました。モツゴを穫っていてウエダーを履いていた足がもつれて1mほど下へ落下。うなりながらもその日はしっかりエサをとりました。3日後、絶好の条件になった伊尾木川でヒラスズキを1尾釣りました。あくる日、膝の痛さで目覚めると赤黒く腫れ上がっているではありませんか。病院へいくと、「はい、にゅういんです。」です。見舞いに来て下さる方のほとんどが「アカメが祟ったねえ」。二回目はやはりエサ穫りの最中、エビを穫ってたんですが、大きな石を持ち上げて・・・手が滑りました。下にはちょうど左足の中指が石の上に乗ってたんです。グシャっとつぶれて複雑骨折でした。すこし、痛みました。仕事が忙しいときでしたので、ギブスをすると靴が履けず、仕事ができないのでギブスなしで治しました。「痛いがを我慢できればギブスはせんでもええでしょう。」とお医者さん。1カ月はビョコンピョコンと歩きました。「どうしたぜよ?」と聞かれましたが、「ちょっとあの〜」とごまかしました。しかし、やっぱ、「アカメのたたりじゃの〜」と言われました。

 みなさん、おわかりでしょう。アカメは祟ります。ゆめゆめアカメを飼ってやろうなどと大それたことを考えてはなりませぬ。水族館にまかせましょう。おお、おっそろしい!そういえば、アカメを預けた友人の頭の髪の毛が最近赤っぽくなってきた。こわい!!!


(9話)3時間 1984年ごろ聞いたお話しです。東部のアカメポイントでいつものように数人のアカメ狂いの釣り人が集まり、アカメの話しに興じていました。大物とのやり取りの話しをしている中でてきたものです。「いままでアカメとやりとりして一番時間が長かったのは3時間じゃった。あれを越した話しは聞いたことがない。」「そうじゃなあ。」そのやり取りをした本人を含め話しに花が咲きました。川の中ではなくて、サーフ側でやっていてヒットしたアカメは超がつくような大物だったようです。初めのうちは回りの友人が集まって励ましていました。一時間たち二時間たつうち「おい、まだか?ええかげんにあげたらどうなら」と言う声がではじめ本人は汗だくでふうふういっているのに「もうえい、足るばあやってこい」という声をのこしてみんな帰ってしまったそうです。結局三時間ほどファイとしてアカメはラインをぶち切って去ったそうですが、ばらした当人は「友達ゆうても冷たいもんよ」言うていました。(決して弱いタックルでのぞんでいたのではありません。ラインは1分(10号)、ロッドは投げの強竿を使っているひとだったのです。
(8話)日本の警察は・・・!? 1989年の話。高知市の釣具店からアカメが丸々一匹欲しいので、何とかして欲しいと依頼を受けました。どうするんだろうと思って聞いたんです。そしたら、警察に頼まれたということです。わたし、「そんな恐いところがアカメをいったいどうするんです。」宴会ででも食べよういうんかな?と思ってさらに聞いてみますと、何と!鑑識課でいるらしいというんです。

 つまり、犯罪現場に魚の鱗が落ちていた、あるいは毒殺現場のナベの中に魚の骨がある。この魚は何という魚か?ん〜・・・どこで手に入れてきた魚か?ん〜・・・誰が釣ったものか?ん〜・・・アカメ釣り師はそんなにいない。犯人はぺこぺこか中野かNかゼンゴではないか?連想ゲーム式に進めると捜査の手がわたしにものびてくる。

 こんなことを考えて少しヤバイとは思ったんです。それに、ねずみ取りのスピード違反でつかまって、高い罰金払ったりしてたので、警察に協力するのはあまり気が進まなかったのですが、行きつけの釣り具屋さんの頼みだから断れず、89年9月25日に釣った68センチ・4.3キロのアカメを提供しました。

 しかし、日本の警察は優秀だと言われますが、アカメですよ。凄いですね。 

 悪いこと考えてるあ・な・た。袖に着いている魚のウロコ、落としといたほうがええですよ〜。ん〜・・・。


(7話)だれもようせん!2

 第一話と同じ川の河口ですが、アカメが遡る最上のポイントでのお話。Uさんが護岸のテトラの上に板切れでお立ち台を作りました。わたしはすぐ名前を付ける癖があり、そのお立ち台をUテラスと呼んでいました。

 10月のある日、肌寒い真っ暗な夜、スズキを狙っていてガツッ!ときました。そこはほとんどスズキばかりでしたので、太いスズキと思っていたのです。こりゃおかしいと気づいたのはスプールからラインが半分ほども引き出されたころです。「いかんアカメじゃ」なんとか止めようとロッドを倒したり起こしたり、神仏に祈ったり、色々やったのに止まりません。止まらんじゃいかと怒りながら、スプールを見るともうラインがないのです。

 普段ならわたし、かなり理性が働くのです。ほんとうです。

 そこのすぐ下流は川の中央が浅くなっており干潮時は中州ができます。「中州で勝負しちゃる」といいながらドブン!! 頭まで沈みました。チェストハイウエダーを履いていました・・・。浅瀬に泳ぎ着いてロッドを起こすと・・・軽いんです。

 いまだにどうやって道にあがったのか・・・覚えていません。(・・・が多いなあ)


(6話)だれもようせん!

 ひと昔、当時アカメのルアーフィシイングのメッカであった、土佐東部のある河口で出会った年輩のアカメ釣り師に聞いたお話。

 河口の右岸の導流堤のテトラが現在のように沖に長く出ていなっかた当時、その釣り師はいつも、その先端でやっていて、アカメをかけるとアカメが右に走るか、左に行くかを見極めてから、服を着たままやおらザブンと海に飛び込んで、浜へ泳ぎついてから取り込んでいたそうな。「そうせんと、あんなくでかけてどうやって穫るぜよ。けんど、あんなことやるがあ、わしだけじゃった。陸から見よったらおかしかったろうねや。」通訳すると、(そうしないと、あんな場所でアカメをかけても取り込むことはできない。しかし、あんなことをするのは、私だけでした。見ているひとはおかしかったことでしょう)

 魚がさかななら、釣るヒトもひとです。アカメ釣り師には案外多いようです。


(5話)小さな網なのに?

 1996年12月、高知県中部のある河口で、シラスウナギ漁をしていたおじさんの網にものすごい手応え。驚いたおじさんが上げてみると80センチクラスのアカメが入って暴れていた。翌日、魚市場に出荷されたそうです。

(シラスウナギ漁に使う網は一万円から数万円します。おじさんは赤字だったに違いありません。このアカメは浜値で網の値段以下だったはずです)


(4話)
水面にボラでもいたの?

 1998年5月19日、高知県中村市四万十川河口、近くのアオサノリの養殖業者、沖さんが、漁期が終わった養殖用の網を片付けていたら、ずしっと重い手応え、ヘンだなと思いながらも引き上げると大アカメがバタバタ。

 たった十五センチ四方の網の目に頭を突っ込んで抜けなくなって暴れていた。この網って水面に広げてあるんです。

 ばかだねー!全長110センチ・17.5キロのアカメでした。

  新聞ネタになりました。テレビネタにもなりました。あ〜あ


(3話)
硬くて ごめんね

 1995年9月、ガイドがある所でアカメを狙ってました。なん投目かにルアーの後ろを中型のアカメがついてきました。これは8の字だとひっくり返したルアーのリップがアカメの額にがつっ!。リップは金属製。

 アカメは怒って帰っていきました。


(2話)
懲りない

 1980年代後半、あるところでアカメが釣れました。これは知人が釣ったのですが、そのアカメの口には真新しいルアーが一個ぶら下がっていたのです。フックもビカビカ、引きちぎって何日にもならないのに、またも・・・

(当時のヒットルアー、レッドフィンのレッドヘッドでした)


(1話)
硬いんだバアロー

 アカメは硬いと気付いたのは出刃包丁の刃がボロボロになってから、初めて釣ったアカメに思い知らされて、ハンマーとチョウナ(マサカリ)で背骨を切断しているガイド。


 

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